2024.07.29

津久井やまゆり園の事件から8年、「自分らしく生きる」知的障がい者の自立生活と支える人々

2016年7月26日、神奈川県相模原市の知的障がい者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が次々と刃物で殺害される事件が発生し、日本中を震撼させました。犠牲となった人数の多さとともに社会に暗い影を落としたのは、加害者である元職員の男が「意思疎通が難しい」と決めつけた重度知的障がい者を人間として見なかったこと、そして、そんな差別的な言動に共鳴するような意見がネットにあふれたことでした。しかし、重度の知的障がいがあっても意思疎通ができないなんてことはありません。それどころか、地域で支援を受けながら自立生活を送る人たちがいます。彼らと支える人たちを取材しました。(文・写真:ジャーナリスト・飯田和樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

 

決めるのは当事者

梅雨入りして間もない蒸し暑い6月下旬の日曜午前、断続的に雨が降る中、JR水戸駅に向かって走るバスの車内に、重度の知的障がいがある小林大さん(35)がちょこんと座っていました。ときおり「すーわーるっ!」「おはようっ!」など、他の乗客が少し目をやるようなボリュームで声を出したり、座席をリズムよくたたいたりしていますが、動き回ることはありません。隣に座るヘルパーの小森桂介さん(37)はその様子に気を配りながら、大さんが背負う茶色いリュックのポケットから財布を取り出し、バスの運賃を支払う準備をしています。

 

この日、2人がバスと電車を乗り継いでやってきたのは、自宅から10キロ以上離れたショッピングモールです。行き先を決めたのは小森さんでした。土日は散歩と称してあちこちに出かけますが、この日はあいにくの空模様だったため、屋外を散歩するよりは屋内のほうがいいと考えました。

 

決めるのは大さんの意思

ショッピングモールに到着し、食事をとろうと3階にあるフードコートに向かいました。お昼時ということもあり、家族連れを中心に大勢の人でごった返していました。「うどんは?」「ラーメンにする?」。小森さんが店の前を通るたびに大さんに声をかけますが、反応は芳しくありません。どこも気に入らないようです。そんなことを繰り返していると、すべての店の前を通り過ぎて元の場所に戻ってしまいます。しかし、小森さんがしびれを切らすことはありません。あくまで決めるのは大さんだからです。

 

何を食べるか決まらないままショッピングモール内を行き来していると、大さんが「カレー」とつぶやきました。1階レストラン街のステーキ店のショーウィンドーにカレーがあったので、そちらに向かいます。店の前で30分ほど待ち、席に案内されると、大さんは「カレー」と笑顔で言いながら満足そうにハンバーグカレーを頬張りました。

 

大さんには重度知的障がいのほか、広汎性発達障がいや自閉症があります。言葉によるコミュニケーションは限られており、光や音に対して人よりも敏感で、特定のものへの強いこだわりもあります。そんな大さんが、常に介護が必要な障がい者の生活全般を公的に支える「重度訪問介護」の制度を使って、アパートで自立生活を始めたのは2019年10月のことです。重度の知的障がいがある人の一人暮らしは、水戸市では初のケースだったそうです。主に身体障がい者の生活を支える障がい当事者団体「自立生活センター(CIL)いろは」(水戸市)のヘルパー11人が交代で、24時間態勢で大さんの日常生活を支えています。

 

生活のすべてを管理されていることにストレス

一人暮らしを始める前のおよそ10年間、大さんは知的障がい者の入所施設で暮らしていました。施設では、物を壊したり、職員の女性に噛みついたりすることがあったそうです。起床、食事、作業、就寝……。生活のすべてを管理されていることにストレスを感じていたのかもしれません。ある日、大さんの兄・透さんが会いに行くと、部屋にこもって穴の空いた靴下を黙々と破っていたそうです。

 

「自分の知っている弟の顔じゃない」大さんを見てそう感じた透さんは、当時、自身がヘルパーとして勤めていたCILいろはの稲田康二代表(55)に、大さんの自立生活を支援するよう掛け合いました。当時のことを、稲田代表はこう振り返ります。

「いずれは知的障がいのある人の支援を行いたいと考えていましたが、今の人員でできるのかという不安もありました。しかし、映画『道草』(重度の知的障がいがある若者が支援を受けながら都内で一人暮らしをする日々を追った、宍戸大裕監督のドキュメンタリー映画。津久井やまゆり園の元入所者で、重傷を負った尾野一矢さんの姿も描かれている)を見て、知的障がいのある人の自立生活をイメージできたことで、支援する決断ができました

 

ただ、懸念もありました。ヘルパーが利用者である大さんを管理してしまうのではないか、というものです。CILの介助は、先回りせずに当事者の指示によって動くことが基本です。しかし、大さんはヘルパーに興味を示さず、自らの意思を伝えようとすることもほとんどありませんでした。大さんの支援の中心的存在であるCILいろはのコーディネーター、本橋和哉さん(36)は「当初は関係性がなかなか築けず、何をしたらいいのかわかりませんでした。何も訴えがないということは、何も求めていないのかな、やっぱり介助というよりは管理なのかな」などと思ったそうです。

拒否が出るようになった

しかし、一人暮らしをするためのアパートが決まり、そこに転居して数カ月が経つころ、大さんに変化が見られました。

「拒否が出るようになったんです。たとえば、それまでは『お風呂にする?』と呼びかけたら言われるがままに入っていたのですが、『いいよね』と答えるようになったんです。『いいよね』は『~しなくてもいいよね』という意味で、大くんが拒否を表す言葉です。『まあ、入らない日もありだよね』と思っていると、しばらく後に『お風呂』と訴えたりします。自分の入りたい時間があるんですね

 

このように自分らしさを出せるようになると、ヘルパーとのコミュニケーションもどんどん増えていきました。それとともに生活にリズムができてきました。月曜日から金曜日の日中は生活介護事業所に通い、帰宅後はいろはのヘルパーのサポートを受けながら過ごします。土日はヘルパーとともに外出します。毎日買い物に出かける近所のスーパーの店員や髪を切りに行く美容院の美容師など、ヘルパー以外の人との関わり合いも少しずつ生まれてきました。

 

稲田代表は「本当に順調にここまできたな、と感じています。スタート時点では、もっと大変だろうというイメージを持っていました。多動、他害・自傷行為といったトラブルが頻繁に起きるのではないか。それによってヘルパーたちも疲弊してしまうのではないか、と。でも、そんなことはなかった」と話しています。

 

「世界に誇れる」重度訪問介護ですが……

大さんが利用している重度訪問介護は、もともとは重度の肢体不自由者を対象とした制度でしたが、2014年度から対象が拡大され、重度の知的障がい者や精神障がい者も利用可能となりました。ヘルパーが自宅を訪問し、見守りを含む生活全般のサポートをするのです。大さんの場合のように、24時間態勢でヘルパーが見守るケースもあります。

 

まだまだ身体障がい者に比べると知的障がい者の利用者は少ないですが、東京家政大学の田中恵美子教授(社会福祉学)によると、2023年の知的障がい者の利用者は1126人で、2014年の316人のおよそ3.5倍になっています。とはいえ、重度訪問介護のサービスを行っている事業所であっても、行動障がいのある知的障がい者への支援については拒否する事業所の割合も少なくないということです。

 

田中教授は、重度訪問介護について「世界に誇れる制度だと思います。ただ、まだまだ改良の余地はあります。もっと利用も伸ばしていかないと」と指摘しています。実は、この制度が使えるようになるずっと以前から、地域で知的障がいのある人たちの自立生活を支えてきた人たちもいます。

 

まずは親から離れてみたらどうだろうという意見

東京都目黒区。東急東横線の祐天寺駅と学芸大学駅の中間にあるNPO法人「はちくりうす」の副理事長、櫻原雅人さん(60)が、無着邦彦さん(61)と関わり始めたのは40年以上も前にさかのぼります。

重度の自閉症がある無着さんは1年間の就学猶予を経て、地域の小・中学校の普通学級に通い、その後、都立の定時制高校に進学しました。一方、櫻原さんは、地域で障がいのある子どももない子どもも一緒に遊ぶ子ども会の活動に参加しており、そこで当時20歳で定時制高校4年生だった無着さんと出会いました。

 

無着さんが28歳のとき、自宅で大暴れして家じゅうのものを壊してしまう出来事が起きました。それまで無着さんを普通学級に通わせるなど、地域で生きていくことにこだわってきた母もさすがに参ってしまい、施設入所を口にするようになりました。しかし、無着さんの周囲から「よく考えたら、20代後半の若者が親と一緒にずっと暮らしている環境自体が不自然なのでは?まずは親から離れてみたらどうだろう」という意見が出て、1カ月間、無着さんが週2回通っていた障がい者も健常者も一緒に過ごすことができる場所を使って合宿形式で、試験的に親から離れてみると、大暴れがピタッと止まりました。

 

そして、1996年、無着さんが33歳になる年に、シェアハウスで自立生活を始めました。以来、30年近く、櫻原さんは現在に至るまで無着さんの自立生活に伴走し続けています。それだけでなく、はちくりうすは、身体と知的の重複障がいのある女性2人と重度の自閉症がある女性1人の計3人が共同で生活するのをサポートするなど、知的障がいのある人の自立生活を数多く支えています。

 

28年間の自立生活の中で、無着さんは『生きる力』というのをすごく身につけていったし、僕らもそれに合わせて成長させてもらいました。無着さんがいて、今の僕がある」と語る櫻原さんですが、重度訪問介護という制度ができて、事業として自立生活支援に取り組む人たちとの温度差を感じることもあるということです。

「僕らの世代までは『ともに生きる』と言い続けてきましたが、次の世代にもそのことを継承していけるかというと、なかなか現実的には難しいだろうなあと思います。ただ、僕自身は、当事者と生きるのはライフワーク。これからも『ともに生きる』

 

支える支援態勢があれば地域の中での自立生活が可能

櫻原さんと田中教授が関わっている「知的障がいのある人の自立生活について考える会」は以前、「知的障がい者の自立生活についての声明文」を作成しました。最新版である2021年1月に発表した第3版の中には次のような文章があります。

「国連障がい者権利条約の第19条では、『障がい者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと』と言われています。

 

重度の知的障がいがあっても、それを支える支援態勢があれば、公的介護(ヘルパー制度等)を活用して地域の中での『自立生活(=他の人と同等の当たり前の生活)』をすることが可能です。

しかし、相談支援、行政のケースワーカー、施設、居宅介護などの支援機関も、当たり前に身近な地域で暮らし続ける『自立生活』という選択肢を本人、家族に提案しない(できない)状況が続いてきています」

 

つまり、重度訪問介護をはじめとする現行の障がい福祉サービスを活用することで地域の中で自立生活をすることが可能なのに、支援機関の多くはそれを知ってか知らずか提案しないということです。

田中教授は「自立生活は最初に提案する選択肢です。一人でも多くの人に、『こんな暮らし方ができるんだ!』と思ってもらえるように、とにかく伝えていきたい」と話します。また、櫻原さんは「自立生活をしている知的障がいのある人はパイオニア」と語ります。

 

知的障がいのある人が地域で暮らすことが当たり前だと認知されていく

「もちろん、ほかの知的障がい者や家族に『地域での自立生活』という暮らし方があることを伝える、という意味でのパイオニアでもあります。ですが、それ以上に、地域社会に知的障がいがある人が生きている、存在しているということを伝えていくという意味合いがある。それはグループホームや入所施設では成り立たない特徴だと思います」

そして続けます。「人は知らないものに対して恐怖を抱きます。未知の存在は怖い。だけど、知ることによって、気持ちも緩んでいくし、情も湧いてくるのです」

 

水戸市で大さんの生活を支えるCILいろはの稲田代表も「なかなか時間がかかるかもしれませんが、知的障がい者の自立生活が増えていけば、知的障がいのある人が地域で暮らすことが当たり前だと認知されていくと思います。かつての車いすに乗った障がい者たちのように」と述べています。

 

「自立とは依存先を増やすこと」

脳性麻痺で手足が不自由な東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎教授の有名な言葉に「自立とは依存先を増やすこと」というものがあります。

知的障がい者の親にとって、自分が亡くなった後、誰が我が子の生活を支えるのかという「親亡き後」問題は深刻であり、それが本人の意思に関係なく、それまでの関係や生活から分断され施設に入所することを余儀なくされる大きな理由でもあります。

 

しかし、もし親や施設以外にも、地域に頼れる人がたくさんいたらどうでしょうか。櫻原さんは語ります。

「熊谷さんの言葉ですが、依存先という言葉に反発する人が出るかもしれません。そんなことはしんどい、できない、迷惑をかけられたくないと思うかもしれません。しかし、誰もがガッツリと支援しようというわけではありません。例えば『この子が地域に住んでいる限り、私はここで商売をしているから、細々とだけどずっと何十年も付き合っているよ』という範囲であれば、全然重くないと思います。しかし、そういう人がたくさんいると、当事者を取り巻くセーフティネットは広がっていきます。私たちだってそうです。自分の生活圏内に存在を肯定してくれる人がたくさん増えていけば、生きやすい社会に変わっていくと思います」

自立生活を送る知的障がい者は、もしかしたら、生きづらさであふれる現代の日本社会を変えるパイオニアとなりうる存在なのかもしれません。

まとめ

私たちが直面する現代の課題は、知的障がい者の自立生活を支える社会の姿勢にあります。津久井やまゆり園の悲劇を乗り越え、個々の尊厳と生活の質を向上させるために、私たちは「自立」をどう実現していくべきか、深く考える必要があります。重度の知的障がいを持ちながらも地域で自立生活を送る人たちの姿は、変革の希望を示しています。彼らの実践が広がり、当たり前の選択肢として認識されることで、社会全体がより包摂的に、そして生きやすくなることを願っています。

 

参考

津久井やまゆり園の事件から8年、「自分らしく生きる」知的障がい者の自立生活と支える人々 #令和の人権(Yahoo!ニュース オリジナル 特集) #Yahooニュース

 


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