2024.07.04

「発達障がいは治らない」は本当?発達障害について、誤った認識を持っていませんか?

発達障がいは一生治らず、治療方法もない、という考え方は本当でしょうか?発達障がいについて、誤った認識を持っていませんか?

例えば、言葉が幼い、落ち着きがない、情緒が不安定など、育ちの遅れが見られる子どもに対して、どのように治療や支援を進めていくべきでしょうか。

講談社現代新書のロングセラー『発達障がいの子どもたち』では、長年にわたって子どもたちと向き合ってきた専門家が、やさしく教え、発達障がいに関する誤解と偏見を解いています。※本記事は杉山登志郎『発達障がいの子どもたち』から抜粋・編集したものです。

 

世間に広がる誤解

以下に挙げるのは、発達障がいに関して特に学校進学を控えた子どもを抱えるご家族からよく聞く意見です。読者のみなさんは、これらの意見についてどう思われますか?

  • 発達障がいは一生治らないし、治療方法はない。
  • 発達障がい児も普通の教育を受けるほうが幸福であり、発達にも良い影響がある。
  • 通常学級から特別支援学級に変わることはできるが、その逆はできない。
  • 一度特別支援学校に入れば、通常学校には戻れない。
  • 通常学級の中で周りの子どもたちから助けられながら生活することは、本人にも良い影響がある。
  • 発達障がい児が不登校になったときは、一般の不登校と同じように扱い、登校刺激はしないほうが良い。
  • 特別支援学校卒業というキャリアは、就労の際に著しく不利に働く。
  • 通常の高校や大学に進学できれば、成人後の社会生活はより良好になる。

 

次に、幼児期の発達障がいのお子さんを持つご両親からしばしば伺う意見です。

  • 発達障がいは病気だから、医療機関に行かないと治療はできない。
  • 病院に行き、言語療法や作業療法を受けることは発達を非常に促進する。
  • なるべく早く集団に入れて普通の子どもと接するほうが良く発達する。
  • 偏食で死ぬ人はいないから、偏食は特に矯正しなくて良い。
  • 幼児期から子どもの自主性を重んじることが、子どもの発達をより促進する。

 

なぜこれが誤っているのか

これらの意見は、私から見れば誤った見解か、あるいは条件付きでのみ正しい見解であり、一般的には正しいとは言えません。おのおのについて、なぜこれが誤っているのかと驚かれたとしたら、そして発達障がいと診断されたお子さんに関わっているならば、この本はあなたにとって読む価値のある本です。

 

発達障がいの治療や教育の是非を調べることは実は簡単です。成人になるまで待ち、成人になってからの状態を比較すれば良いのです。どんなに理論的に正しくても、成人になったときの社会的な状況が不良であれば、その育ちの過程には何らかの問題や過ちがあると考えざるを得ません。

 

それは普遍的な問題であることもあれば、極めて個別的な問題であることもあります。また、現在の教育制度から来る問題もあれば、選択によって回避できる問題であることもあります。私が長年にわたって相談に乗ってきた1人の成人について、まず紹介したいと思います。

 

学習障がいと診断されたA君

A君が筆者の外来を受診したのは9歳、小学校4年生のときです。学校の勉強が遅れがちになったということで受診しました。80年代後半のことです。

 

A君は未熟児で生まれ、もともと言葉は少し遅れていましたが、特に健診でチェックを受けることはなかったそうです。幼児期からよく動き、よく転んでいました。しかし、集団行動には問題なく、友達を作ることにも問題はありませんでした。地元の保育園から通常学級に進学しました。

 

国語の苦手さが明らかに

小学校に入ってすぐに、国語の苦手さが明らかになりました。特に文章の読解が苦手で、やさしいひらがなの文章を訥々と読むのが精一杯でした。小学校2年生まではお母さんがついて勉強を見ていましたが、小学校3年生になると、国語の苦手さが他の教科にも影響し始めました。テストの成績も軒並み40点前後となり、学習をさせようとすると嫌がるようになったため、専門医療機関への受診となりました。

 

初診時のA君は、にこにことした元気の良い、落ち着きのない子どもでした。心理検査を行ってみると、WISC(ウェクスラー児童用知能検査)という検査で、言語性知能指数62、動作性知能84、全体で78と、境界知能という結果になりました。

 

知能検査の詳細

知能検査にはビネー系とウェクスラー系という2つの標準化された知能検査法があります。ビネー系は、知能検査によって示された精神年齢を算出し、それを暦年齢で割ることで知能指数を計算します。それに対してウェクスラー系は、言語を用いた知能検査と言語を用いない知能検査(動作性)に分かれ、それぞれはさらに、知能を支えるさまざまな能力や知識のレベル、視覚的認知の正確さ、常識の有無、記憶の正確さなどの項目に分けて計測します。

 

一般的に、IQ85以上を正常知能とし、IQ69以下を知的な遅れとします。この中間のIQ70からIQ84を、正常知能と知的な遅れの境界線という意味で、境界知能と呼びます。A君はこの領域に入ります。

 

知能検査の信頼性

知能検査の値は絶対ではなく、そのときのコンディションでプラスマイナス15程度の変動があります。しかし、経験豊富な専門家が実施すれば、結果には一定の信頼性があります。A君については、言語性知能検査の各項目を見ると、著しいばらつきがあり、単純な記憶は良好ですが、類似課題など抽象度が少し高くなると非常に苦手という状況が心理検査の結果から見て取れました。

 

A君の具体的な学力

A君の国語力は、小学校2年生程度の文章読解力で、漢字は1年生レベルですでに躓いていました。算数では繰り上がりのある足し算で誤りが多く、九九も不完全で、割り算は部分的にしかできませんでした。つまり、小学校2年生レベルの課題からすでに学習に困難を抱えていたのです。

治療開始

A君の継続的な相談が始まりました。集中困難と自信の喪失が目立ったため、少量の抗うつ剤を服用してもらいました。すると、A君はいくらか元気になり、課題への取り組みも向上したため、しばらく継続して用いることになりました。後から振り返ると、この抗うつ剤が少し有効であったということが、実は大きなボタンの掛け違いを生じてしまったのではないかと悔やまれます。

 

本人の意欲は回復しましたが、学習は徐々に遅れが目立つようになりました。母親は熱心にA君の勉強を見ていましたが、小学校高学年になるとA君ははっきりと学習を嫌がるようになりました。

 

学習障がいがやっと話題になり始めた時代

私はまず個別の学習を行う時間を設けられないかと学校にお願いしました。80年代後半の当時、学習障がいがやっと話題になり始めたころです。まだ特別支援教育という概念は日本には存在しませんでした。

 

学校の返事は、「地域では通級(通常学級に在籍して特殊学級に出かけること)の制度はなく、知能にはっきりとした遅れのない子は特殊学級の対象にならない」とのことでした。しかし「本人や家族が希望するなら、特殊学級に転級を検討する」と学校からは返答がありました。そこでA君が学校の授業についていけなくなった時点で、私はA君のご両親に特殊学級への転級を勧めました。しかし、母親も父親も、A君が友人と一緒に学習をしたいと望んでおり、また担任教師も特殊学級に行かなくても大丈夫だと言ったということで、転級を拒否しました。

 

特殊学級などとんでもないと言われた

さらに家族は、遠方のT大学病院にわざわざA君を連れて行き、その医師からは特殊学級などとんでもないと言われたそうです。ちなみにこの医師は、どのようなハンディがある児童でも通常学級でと当時主張していました。

 

先に述べたように学習障がいの概念はこのころからわが国に広まりだし、教育サイドも医療サイドもその対応方法は一貫していませんでした。私自身も教育の処遇に関して、十分に確信を持って対応していなかったと思います。このころA君はしばしば学校でいじめにもあっていましたが、有力な同級生の子分となることで、いじめの被害はなくなったということです。どうもこのころから、ご両親は、特殊学級に行きたくなければ勉強するしかないといった説得を繰り返していたようです。

 

混乱の日々

中学生になると、授業からは完全に取り残されるようになりました。学校自体が荒れている中で、A君は同級の友人に唆されて、しきりに授業妨害をするようになりました。そのような中でA君が担任教師に暴力をふるうという事件が生じました。A君の言い分は、担任が自分たちを無視して生徒を差別しているということでした。

 

A君に対し、私はどのような事情にしろ暴力をふるうことは良くないと強く説得しましたが、A君は私まで自分の味方をしてくれないのかと、むしろ傷ついた様子でした。

 

特殊学級への転級を勧めるが…

私はA君と家族に、もう一度、特殊学級への転級を勧めました。ご両親は現在の状態でA君がまったく授業についていけないことは理解しており、それがA君にとって良いことならと受け止めていましたが、A君は「俺を馬鹿と一緒にするのか」と激怒し、特殊学級に転級するくらいなら死ぬとまで言いました。この事件の後、暴力的に暴れることはなくなりましたが、時折、遅刻を繰り返すようになり、やがて不登校状態になりました。

 

A君はそのまま中学卒業となり、当時開校した、高校卒業資格を取ることができる専門学校に通うようになりました。この学校は高校に進学できない生徒を集めており、カリキュラムもそれなりに工夫されていて、1年生の最初、A君は笑顔で登校しました。しかし6月ごろから、学校に行く前にA君は髪型を著しく気にするようになり、鏡の前で30分も40分も整髪料と櫛とを持って髪を整えるようになりました。この間も筆者の外来への散発的な相談は続いていましたが、A君自身がすでに通院を嫌うようになったため、両親のみの相談でした。A君は一学期の後半には学校に通えなくなり、そのまま退学をしてしまいました。

 

家の中で大暴れするようになる

その後、アルバイトを何度か試みましたが、いちばん続いたもので1ヵ月弱であり、ささいなトラブルからバイトに行かなくなることを繰り返しました。それをご両親にとがめられると、A君は家の中で大暴れをするようになり、そのまま蟄居生活になってしまいました。

 

私は何度か往診をしてA君に会うことができましたが、その会話の中でA君が周りの人の働きかけをすでに被害的に受け取っていたことが判明しました。今後、入院治療が必要になるかもしれないと考え、私は友人の精神科医に紹介状を書き、ご両親はその精神科の病院に相談に通うようになりました。この時点で私が職場を変わり、外来の枠が小さくなって、問題が生じても直ちに対応ができなくなったこともありました。

 

その後である。20歳を何年か過ぎてA君は近くのクリニックのデイケアに通うようになりました。外へ出るときには髪型を整えないと出られない状態は続いており、サングラスが離せません。少しのことで被害的に受け取ることも続いていますが、クリニックで出された安定剤を服用し、家庭の中で暴れることはすでになくなっています。

 

A君は、私にとっては明らかな治療の失敗例であり、私自身の責任も十分以上にあり、こうしてまとめてみてあらためて慚愧に堪えません。A君に申し訳なく思います。しかしA君は少しずつ昔の笑顔を取り戻しつつあります。A君は優しいご両親に愛されて育った青年です。つまり、人としての根っこの部分はきちんとできています。どんな紆余曲折があろうとも、A君が社会に出ていくことが可能になる日が必ず来ると私は確信しています。

まとめ

発達障がいに対する理解と対応は一筋縄ではいきませんが、適切な支援と関わり方があれば、当事者は自分らしく社会で生きていくことができます。A君のような事例から学び、私たちが誤解や偏見を超えて支援を続けることの重要性を再認識しました。これからも一人ひとりのニーズに応じた支援を提供し、発達障がいを持つ人々がより良い未来を築けるよう努力していきましょう。

 

参考

「発達障がいは一生治らないし、治療方法はない」は本当?…発達障がいについて、誤った認識を持っていませんか?(現代ビジネス) #Yahooニュース


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